この記事は「コーヒー豆や粉が膨らむのはなぜ?①」の続きになります。
鮮度の先にあるエージング
鮮度による抽出状態および風味変化の関係についての問題と対処法の延長に当たるのが、豆内部のガス量はじめとする焙煎後からの成分変化に着目した「エージング(熟成)」と呼ばれる調整方法です。
その効果については、「ほど良い期間を置くことで味わいがまろやかになり、香りも立って来る」といった感じで表現されることが多いです。
- ガスが抜けるにつれて抽出時に水分が浸透しやすくなる
- 深煎りで焙煎後半に発生して来る煙が付着することによるスモーキーな風味が落ち着く
- 成分の化学反応が徐々に進行する(酸化・加水分解・メイラード反応・油への分散など)
新鮮な風味をメリハリのある立体感と表現するなら、エージングによって表れるものについては滑らかな深みや奥行きといった感覚になるかと思います。
これらの変化を見込んで焙煎から数日~1週間ほどの期間とされるのが一般的ですが、適切な保管状態を保った上で1ヵ月ほどとされるようなケースもあります。
特に浅煎り豆では、成分の化学反応が途上段階にあることことから、エージングによる風味変化の幅も大きくなります。
それを見込んで期間が長めに取られる場合が多くなるようです。
エージング(熟成)ってどういうこと?
一般的に食品の熟成とは、その食品にもともと含まれている酵素物質の働きによってタンパク質、脂質、糖質が分解され、風味が変化して行くことを指します。
ですが、コーヒー焙煎豆においては具体的にどのような化学変化を指して用いられているかは不明瞭な場合が多く、専ら慣習的な表現として使われているものと思います。
熟成が起こる一つの経路としては、上述の界面活性物質をはじめとした焙煎中に生成される酵素物質が、焙煎後にも働いているという可能性が高いです。
近年、コーヒー生豆の精製段階における「発酵」の研究が活発に行われていますが、それと「熟成」は、境界線が曖昧ながらも区別されています。
発酵は、主に微生物や菌が体内で行っている酵素物質による分解過程を利用します。
何らかの「発酵を促す添加物」を後から加えることによって、より変化に富んだ風味を醸成する、という点が主な違いです。
余談ですが、コーヒー生豆の精製方法についての区別を表したものです。
- 熟成と常在菌による自然発酵 ⇒ Washed、Natural、Honeyなどで伝統的な天日、日陰環境を利用する方法
- 添加物や環境操作による人工発酵 ⇒ Anaerobic(嫌気性)、Carbonic maceration(二酸化炭素注入による嫌気性)、lactic acid (乳酸)、Kouji(麹)、Infused(その他もろもろ)
また、コーヒーらしい香ばしい風味は、焙煎の熱によって生豆中の成分が化学反応することで生まれます。
メイラード反応と呼ばれる、糖類(炭水化物)とアミノ酸(タンパク質)が複雑な化合物(腐食酸・褐色物質)を生成するものですが、この反応は常温下でもゆっくりと進行するそうです。
他にも、酸化や加水分解といった反応によっても焙煎後に様々な成分の変質が起こっていること自体に疑問の余地はありません。
しかし、熟成は腐敗と同じ反応でもあることから、風味にとって有益な変化だけしか起こさないと考えるのは不自然です。
エージングの効果と評価
このテーマも昔から議論が繰り返されているところではありますが、お好みや抽出方法・保管方法といった個別のケースによって結果の振れ幅が大きいこと然り、変化を客観的に示すための情報も根拠もほぼないこと然り、今の所はその日数のみで優劣を付けるための何らかの指標すら存在しません。
このような現象をして、「焙煎後何日目(から)が良いのか?」といった感じのよく見聞きする疑問が生まれて来る訳ですが、この表現、あるいは疑問の元となるコーヒーの捉え方自体に大きな問題が潜んでいることを知って頂けたらと思います。
上述の通り、個々の素材や調理工程、お求めの風味傾向まで異なるコーヒーの多様さという前提については認めながらも、実際の扱い方においては全てひっくるめてワンイシュー(一つの争点)で片付けようとするのは乱暴で雑な姿勢と言う他ないので、明らかなダブルスタンダード(二重基準)を孕んでいることになります。
※世の中には「ワンイシュー戦略」というものがあり、主に広報(マーケティング)分野で分かりやすさを求める聴衆の注目を集める手法として利用されるものです
当店が常々、「おいしいコーヒー」にまつわる様々な誤解を生む原因は、コーヒーそのものよりも、人々の情報伝達と認識の方法にこそあると主張している理由の一例でもあります。
例えば、あるコーヒー豆についてその日数が判明したとしても、その日に向けて全量を販売したり、使い切ったりすることはほぼあり得ませんので、普段使いでそこまで限定的な捉え方をすること自体にそもそものメリットがないからです。
エージングのポイント
- 焙煎度
- 保管状況
- ある程度の期間(数日・数週間・数ヵ月)による風味変化の傾向
当店の豆・粉の販売に際しては、出来るだけ焙煎後数日以内の新鮮な状態でお客様のお手元にお届けするようにしており、エージング期間については特に設けていません。
実践的なエージングの活用事例
上記の疑問への回答をまとめた事例として、繊細な風味を競う競技会などの場面で使われる「豆・粉を密封して冷凍保存する」という手法について解説して行こうと思います。
焙煎後に低温密閉環境に置くことで風味を損なう化学変化や香気成分の揮発・散逸を抑えつつ、炭酸ガスを抜くことで、成分を劣化させずに抽出効率(収率)を上げるためのエージング方法と説明することが出来ます。
※同時に、豆を硬くすることで挽き目の粒度分布を均一に近づけるという効果があるとも言われています。
また、そのような場面ではよく「風味のピーク(最大値や最大限)」という表現を耳にします。
そのように表現する根拠の多くは、個別の感覚的な経験に基づくもののようですが、実際にそう感じ取れる現象が起こる可能性としては、以下のことが関係していると考えられます。
- 低温・低酸素・低湿度・長時間という条件において、腐敗反応は抑えながら風味にとって有益な反応を選択的に促す。
- 特にエスプレッソ式については、密閉度の高いポルタフィルター内に微粉が圧密された状態となっており、挽き目を細くするほど水の透過に対する抵抗と内圧が高まります。すると、抽出時には抵抗の少ない経路に向かってガスと水の流れがより集中しやすくなることから、①記事で先述した「チャネリング(偏流)」の発生が顕著となります。そのようなメカニズムで引き起こされる抽出ムラによる収率の低下を抑止する。
- 焙煎時の熱によって分離した油分が粒子内部から滲み出て来る過程で香気成分を取り込むことで、それらの揮発・散逸が防がれる。結果として抽出液への溶解量が増加する。
※分子構造による分類において、香気成分は芳香族に当たるものが多く、それらは親油性が高いという性質を持っています。
一般的にも油と香りが密接につながっている理由です。
しかし、あくまで理論と経験に頼った仮説部分が多いので、実際にこのような反応が起こっているかどうか確定させるためには、化学分野の専門的な検証方法に則った上での証拠が必要と思います。
※生豆を数年単位で保管しておいたものを「熟成コーヒー」と呼ぶ商品がありますが、ここでは一旦焙煎豆とは区別し除外しています。