この記事は「コーヒー豆や粉が膨らむのはなぜ?①」の続きになります。
鮮度の先にあるエージング(熟成)
鮮度と抽出、および風味の関係についての考え方を推し進めて行く中で発展して来たのが、焙煎後からの豆内部のガス量をはじめとする成分変化に着目した「エージング:Ageing」と呼ばれる風味の調整方法です。
エージングの効果については、「焙煎後にほど良い期間を置くことで、味わいがまろやかになり香りも際立って来る」といった感じで表現されることが多いです。
このテーマについても昔から議論が繰り返されているところではありますが、豆の種類や抽出方法・保管方法といった個別のケースによって結果の振れ幅が大きいことを筆頭に、その変化の度合いについて誰がどのように判断するのか?という、コーヒーの評価に当たって客観的な情報が欠落しやすいケースの代表格に当たることもあって、今の所は経過時間に対する進行度を示すような明確な指標は存在しません。
エージングによって風味変化が起こる理由
明確な証拠が揃っているとは言い難いですが、考えられる可能性として高いものを以下に挙げてみます。
- 成分の化学反応が徐々に進行する(酸化・加水分解・中和・乳化・メイラード反応など)
- 物理的な組成の変化(ガス・香気成分の揮発・油の分散・固形成分や繊維質の弛緩・分裂など)
- 豆内部から炭酸ガスが程よく抜ける(抽出時に水分が浸透しやすくなる)
- 中深煎り以降の場合、焙煎後半にかけて発生する煙が多く付着することによるスモーキーな風味が落ち着く
抽出液についての感覚的な評価としては、新鮮な状態の風味を、苦みや酸味にメリハリのある立体感と表現するなら、エージングによって表れるものについては滑らかさや深み、奥行きといった感じになるかと思います。
特に、浅煎り豆は酸味から苦みへと至る成分の化学反応が途上段階にあるという点を考慮しても、エージングによる風味変化の幅が大きいように思います。
おそらく、そのような変化を見込んだ上で推奨とされるエージング期間が長めに取られるケースが多くなるようです。
エージングのポイント
- 豆の種類
- 焙煎度
- 保管状況
- 期間による風味変化の傾向
エージング期間に対する風味評価の傾向
- 焙煎日 ⇒ 香ばしくてメリハリがある(尖っている) ※特殊なケース
- 数日~1週間ほど ⇒ 角が取れてまろやかになる、豆からの香りが強くなる ※一般的なケース
- 1ヵ月ほど ⇒ より深みが増し、熟成した風味も感じられる ※やや稀なケース
- 数ヵ月から年単位 ⇒ 物によっては化ける(再現性?) ※特殊なケース
※エージングは適切な保存と管理を行った上で風味の向上を促すことを意図した工程であり、流通上の一時保管や単なる放置といった理由によって意図せず経過した期間を意味するものではありません。
当店では、このような傾向も熟知した上で、エージングについてはお客様自身の評価や楽しみ方を尊重するという考え方を取っています。
豆・粉の販売に際しては、出来るだけ焙煎後数日以内の新鮮な状態でお客様のお手元にお届けするようにしており、あらかじめこちらで意図した期間を設けるといったことはしていません。
エージング(熟成)ってどういうこと?
一般的に食品の熟成とは、経過時間に伴って食品中にもともと含まれている酵素物質の働きによってタンパク質、脂質、糖質が分解され成分の変質が進行することで風味も変化して行くことを指します。
ですが、コーヒー焙煎豆においては具体的にどのような化学変化を指して用いられているかは不明瞭な場合が多く、専ら慣習的な表現として使われているものと思います。
コーヒーらしい香ばしい風味は、焙煎の熱によって生豆中の成分が化学反応することで生まれます。
主に、メイラード反応と呼ばれる糖類(炭水化物)とアミノ酸(タンパク質)が複雑な化合物(腐食酸・褐色物質)を生成するものですが、この反応は常温下でもゆっくりと進行するそうです。
熟成と呼べる反応経路としては、焙煎中に生成された界面活性物質が油脂成分との化学変化を促す酵素物質の一つとして働いている可能性も考えられます。
生豆の持つ油脂分は、焙煎時の熱によって油(液状)になります。
そして、同じく熱によって多孔質化した焙煎豆中にその油が分散して行く過程で、香気成分を取り込んで行くという結果になるのは自明ではないかと思います。
※分子構造による分類において、香気成分は芳香族に当たるものが多く、それらは親油性が高いという性質を持っています。
一般的にも油と香りが密接につながっている理由です。
他にも、酸化や加水分解といった反応によっても焙煎後に様々な成分の変質が起こっていること自体に疑問の余地はありませんが、これらは風味にとって劣化方向の変化に当たると考えられるものなので、エージングとは単なる経時変化を指すものではなく、変化の種類を意図的に限定する操作を必要とするものと言えます。
特に油脂分の酸化を指す「酸敗」は、コーヒーだけでなく食品の風味や安全性にとって最も有害な反応の一つに当たるので、それを避けるための条件を整える操作が必須になります。
生豆の精製段階における熟成と発酵の違い
近年、コーヒー生豆の精製段階における「発酵」の研究が活発に行われており、私たちも様々な精製方法で作られたコーヒーを口にする機会が増えて来ました。
そこで、「熟成」と「発酵」の、おおまかな区別について解説しておきます。
熟成は上述の通り、その食品にもともと含まれている酵素物質の働きによって起こる現象です。
例えば、生豆段階ではお米と同じように収穫・精製されてからの期間による呼び名があるのですが、時間経過による風味変化も品質の一要素として区分が設けらていることを表しています。
- 収穫年:ニュークロップ
- 前年:パストクロップ
- 前年以前:オールドクロップ
※生豆の国際輸送には数か月ほどの長期間を要するのが通常なので、地域によって数字が一年ズレることもあります。
国内では、数年以上の単位で保管されたオールドクロップを「熟成コーヒー」と呼んで販売されているケースもあります。
定温定湿倉庫など環境と状態が良好に保たれたものについては、フレッシュな風味以外は劣化と一概に決めつけられるものでもないので、そこに管理コストも含めた価値が付加されてもおかしなことではありません。
それに対して発酵は、主に微生物や細菌類が体内で行っている酵素物質による成分の分解過程を利用する方法です。
つまり、「成分の変質を促す添加物」を必要とし、熟成だけでは起こり得ない変化に富んだ風味を醸成することが出来る、という点が主な違いです。
スタンダードな精製方法
常在菌による自然発酵と乾燥熟成を用いる
- Washed(果肉除去と水洗後に乾燥)
- Natural(果実のまま発酵・乾燥
- Honey(その中間)
※Washedでも果肉除去を行いやすくするために短期間の浸漬発酵を経る場合が多い
※常在菌とは、その環境中(空気や水や土壌)にもともと存在するもの
現在発展形(特殊形含む)の精製方法
添加物や環境操作による人工発酵
- コピ・ルアク式(コーヒーの実を食べる動物の消化を利用して発酵)
- Anaerobic(嫌気性:酸素の少ない環境で活動的になる微生物や細菌を利用して発酵)
- Carbonic maceration(二酸化炭素注入による嫌気性発酵)
- lactic acid (乳酸菌)
- Kouji(麹菌)
- Infused(コーヒー以外の果実や果汁などを加える)
- Thermal Contorol(機械的な温度制御)
※人体への危険性はないの?
食品の成分と風味に多種多様な変化を生み出し、長期保存をも可能にする発酵と言う貴重な技術を与えてくれる微生物や細菌類も、種類や条件によってはそれ自体が人間にとって有害だったり、有害な物質を生成したりする場合があります。
例えば、食品におけるそれらの働きとしては同じでも、発酵食品と言うと体い良いとかおいしいといったイメージを持たれる方が多くなり、カビやバクテリアの増殖・分泌物と言うと問答無用で忌避感や危機意識を持たれる方が多くなるのではないでしょうか?
いずれにしても、日本国内へ輸入される物資に関しては法律において種類や製法、成分に至るまで細かく定められた安全基準に合致することが求められており、それぞれの輸出入業者によって事前にそれを満たすための処置がなされているのが通常です。
また、国内輸入業者には検疫所での検査が義務付けられています。
🔗大阪検疫所食品監視課:海外から日本国内へ食品等を販売などの目的で輸入する際に必要な手続きについて
※コーヒー生豆は植物扱いで植物防疫法の対象となり、コーヒー飲料、焙煎豆や粉類などの製品は食品扱いで食品衛生法の対象となります
2003年にはブラジル・コロンビア産、2007年には、エチオピア産の生豆の一部から国内基準を上回る残留農薬が検出されたために、輸入制限の措置が取られるという出来事が相次ぎました。
この件に関する具体的な健康被害の報告はないようですが、その対策に当たっては国内外での原因究明と法的基準、検査体制の見直しがなされています。
当然ながら、各国によって安全基準や処置を行う体制は異なること、全量検査には多大な負担が必要なこと、安全基準が不完全といった理由で危険が見過ごされる可能性は常に存在するものなので、全ての人に安心安全を保証出来る完璧な体制とまでは言えませんし、どれほどの事態を持って心配や危険の対象とするかは人それぞれな面もあります。
あくまで当店の考えとお断りした上にはなりますが、現在一般的に流通しているコーヒー豆を使った通常範囲での飲用習慣(一日3杯程度)を原因として、良きにつけでも悪きにつけでも普段の健康状態に影響するほどの症状が現れる可能性は低いと思います。
🔗国立がん研究センター:日本人におけるコーヒー摂取と全死亡および疾患別死亡リスク
関連記事:コーヒー豆・粉の選び方は?
実践的なエージングの活用事例
エージングの実践方法や評価の多くは非常に感覚的な情報に基づいているケースが多いです。
これは、化学分析を専門とする機関でもない限り、成分の経時変化について正確な計測・検証を行うための手段と指標を持ち得ないためです。
なので、経験豊富なコーヒーのプロフェッショナル達の間でも実際に用いられている方法を見てみることが、その有効性についての判断材料の一つになるかもしれません。
特に繊細な風味や技を競う競技会といった場面では、そこで用いる素材や手法、その伝えた方(プレゼンテーション)に至るまで、競技者と審査員の間で幾度も吟味された上で評価を決するものだからです。
- 焙煎後の豆を密封して冷却保存する
- あらかじめ粉にしてから冷却保存する
- あらかじめ豆ごとの特性が際立つエージング期間を調べておき、使用日に合わせて焙煎する
- いくつかのエージング方法を複雑に組み合わせる
それぞれの豆や製作者の意図によって、選択される方法や条件は細かい点に至るまで異なります。
ただし、目的について説明される際、風味を劣化させないことだけではなく、焙煎豆の持つ個性的な部分を引き出したり、抽出の再現性高めたりすることでカップ品質の向上を目指すという点において共通しています。
- 低温・低酸素・低湿度・長時間という条件において、酸化・酸敗を抑えながら風味にとって有益な反応を選択的に促す
- 粉の粒度分布を意図的に調整する(豆の温度による硬さの違いが製粉に影響)
- 事前に炭酸ガスの放出を促し水の浸透性を高める
- 特にエスプレッソ式抽出において顕著となるチャネリング(偏流)を抑止する
※エスプレッソ式は、密閉度の高いポルタフィルター内で微粉を圧密するという手法を用いて、水の透過に対する抵抗と内圧をより高める仕組みになっています。そのような状態で高い水圧が掛かると粉内部から噴出したガスと水が抵抗の少ない経路に向かって一斉に流れ込んでしまう場合があります。抽出ムラが激しいにも関わらず透過時間が短いとなれば収率は低下する一方なので、予期せぬチャネリングは意図に反した結果を招く一因となります。
こういったステージでは、「風味のピーク、ベストあるいは最大限」といった強調表現を耳にする場面が多くなります。
個人的には、実際にそのような現象や反応が起こっているかどうかを示す物理化学分野の検証方法に則った証拠が必要と思いますが、競技としての勝利を目指す以上、そして、ビジネスとしての成功を目指す以上は、プレゼンテーションやコミュニケーションに分かりやすさや説得力を持たせるための技能も身に付けることも大事なことと思います。
しかし、そこに上手に織り交ぜられた、あの手この手の表現まで鵜呑みにしない最低限の情報リテラシー(識別力)は持ち合わせておく必要があるのではないかとも思います。
焙煎してから何日目(から)が良いの?
こちらの疑問も良く見聞きするものの一つに挙げられますが、そもそも、このような捉え方でコーヒーの品質を評価しようとすること自体に問題があるように思います。
ワンイシュー(一番良いのはどれかという一つの争点)で問題を片付けようという姿勢は力強いように見えますが、実際のところは乱暴と言う他なく、無理筋で何らかの答えを見出せた気になっても、後でその矛盾に悩まされる羽目になる(沼にハマる)ことは容易に予想が付くことです。
※世の中には「ワンイシュー戦略」というものがあり、主に政治やビジネス分野の広報で分かりやすさやインパクトを求める聴衆の注目を集める手法として利用されることがあります。
当店が常々、「おいしいコーヒー」にまつわる様々な誤解を生む原因は、コーヒーそのものよりも、人々の情報伝達と認識の方法にこそあると主張している理由の一例でもあります。
例えば、あるコーヒー豆の最適なエージング日数が判明したとしても、販売側も消費者側も全量をその日にさばき切ったり、飲み切ったりするような事態は想定しづらいものです。
なので、「普段使いにそこまで限定的な捉え方を持ち込む理由とメリットは何なのか?」という点や、ご自身の意図でコントロールしやすい他の風味調整方法について学んでもらう方が目的地までの近道になるのではないかと思います。