膨らむのがコーヒーの自然な性質
当店ではお客様の目の前でドリップしています。
コーヒー粉にお湯を注ぐと次第に大きく膨らんで来る様子(コーヒードーム)をご覧になって、「うちではこんなに膨らまない」「注ぎ方が上手だから」と思われる方も多くいらっしゃいますが…
これは決してドリップする人のテクニックやコーヒー豆の種類が特別なものだからではありません。
その理由はコーヒー粉の状態が新鮮だからです。
膨らみ具合には、他にもお湯の注ぎ方やドリッパーの形状、湯温などの違いが影響することも確かなのですが、それらは見た目として2次的に表れて来る変化に過ぎず、根本的な膨らむ理由ではありません。
見た目重視でコーヒーを捉えると本末転倒になりやすく、ドリップの上達を目指す上ではかえって遠回りになってしまう事例が多いです。
なので、はじめから本質的な仕組みを知ってもらうことが、お好みのコーヒーまでの近道になると思います。
- どうして新鮮だと膨らむのか?
- 何をもって新鮮というのか?
- 新鮮さは風味にどう関係しているのか?
これらが分かると、以下のような陥りやすい迷い道や底なし沼からも簡単に抜け出すことが出来るようになります。
- うちでは粉が膨らまなないし、おいしく出来ないのは自分のドリップが下手だから
- 良く膨らむものほど貴重で高級な種類の豆だから風味も良い
- 豆・粉の消費期限は数ヵ月や年単位のものも多いので、鮮度はそんなに気にしなくて良い
過去から現在に至ってもなお、これらの誤解がご家庭でのドリップにおいて最も多く見受けられる障壁となっています。
この問題は、日本は地域的にコーヒーの栽培に向いていないため、遠く離れた世界の生産地から輸入せざるを得ないことの弊害です。
日本人はコーヒー好きな方が多く消費量も多いですが、ご家庭で日常的に生豆や焙煎に触れる習慣はなく、加工済みの商品を購入する形で定着しています。
大量生産・大量供給という形態になると保管や流通に要するギャップ期間という障壁が生まれてしまうので、「新鮮さ」と「低コスト」の両立は難しくなります。
現在も大手メーカー、チェーン店で販売される多くは、工場で焙煎後に防腐処理とパッケージングされてからお客様のお手元に届くまでの期間が月単位で掛かっているのが通常です。
このような流通体制にならざるを得ないため、生産地の生豆を仕入れる専門業者以外にとっては鮮度が高く、また種類も豊富な中から原料を入手することは困難な時代が長く続いていました。
それが、1~3のようなイメージが蔓延してしまった根本的な原因です。
しかし、世界的に技術・通信・物流が進歩するにつれて当店のような小売店やご家庭にとっても「新鮮さ」を阻む障壁は低くなって来ており、例えば、専門店やネットショップの中には、どなたでも簡単に生豆や焙煎直後の豆といった商品を購入出来るところも増えて来ています。
現代ではもはや、コーヒードームと香りが膨らむドリップはプロだけのものではなく、正確な情報と少しのコストだけで、どなたでもすぐに手に入れられるものとなっています。
膨らみが大きくなるポイント
注いだ水分が粉に浸透するにつれ、焙煎時に生成された「炭酸ガス(主に二酸化炭素)や香りの気体成分」が吹き出し、大量の細かい気泡を作ります。それが粉全体を浮き上がらせる現象がコーヒードームの正体です。
その際、吸水した粉は繊維質が柔らかくなることで個々の粒子も若干膨らみます。
1.焙煎されてから新鮮
鮮度の基準は焙煎日
※パッケージを開封してからではないことに注意
豆のまま常温(15度前後)で密封保管された状態で、およそ2週間ほどが目安。
2.粉になってから新鮮
ドリップ直前にミルで挽くことで最大化します。
粉のままで野ざらし状態が数分続くだけでも弱まります。
パッケージ方法・窒素充填・真空・冷蔵・冷凍といった方法を組み合わせることで数か月、年単位の保管も可能ですが、それぞれのプロセスで豆や粉の状態は異なったものになります。
3.粉の挽き目が細かい
個々の粒子が軽くなること。
表面積も大きくなり吹き出すガス量も多くなるため。
※ただし、粉が細挽きになるほど水が通りにくくなることはじめ、注ぎ方や湯温、焙煎度などの諸条件によって「粉全体への水の浸透しやすさが異なる」という理由によって、見た目としての膨らみ具合はケースバイケースで変化するものです。
4.焙煎度が深い
中煎り~深煎りの粒子
密度が低い(内部に隙間が多い)→ 保持出来るガス量が多い、水に浮きやすい
焙煎中に生成される界面活性物質の量が多くなることで、気泡が出来やすくなる
※浅煎り粉の粒子は逆で、気泡は少なく水に沈みやすくなります。また、極深煎りになると例外もあるので詳しくは後述しています
5.注水温度が高い
水温が高いほど水が細胞壁の内側まで浸透しやすくなることで、ガスや成分が放出されるスピードが早まり、総量も多くなります。
粉粒子は乾いた状態から濡れた状態へ移行する時に体積が膨張するので、ガスや水の流通経路が増えて行きます。特に注水一投目の「蒸らし」に当たる温度を高めにすると工程の初期段階から高い抽出効率が得られます。
これらをまとめると、「膨らみ具合は主にコーヒー粉が保持しているガス量によって決定されている」ということが言えます。
焙煎すると膨らみがよく見える
コーヒー豆に含まれる炭酸ガスは有機物(炭素を含むもの)が加熱される際に起こる、ごく自然な化学反応によって発生したものです。
まず、コーヒー豆は焙煎過程でも体積が2~3倍ほどに膨らみます。
その加熱初期には生豆の持つ水分が水蒸気となって、無数の細胞壁(主にセルロース・ヘミセルロース)を軟化させながら押し広げて行きます。
水分は途中でほとんど蒸発してなくなって行きますが、そうして出来たたくさんの小さな部屋の中に生成されたガスや風味成分が溜まって行きます。
熱の与え方や時間によって内部で起こる化学反応は変化するので、焙煎方法や焙煎度を表す指標の一つとなる「焼き上がり温度」でもガスの量は変わってきます。
詳細に関わる部分ですが、個々の生豆には水分含有量や大きさ・密度といった違いがあるので、表面上の色味では同じ焙煎度かのように見える場合であっても、内部までの「熱の通り具合」が均一かどうかも大きく影響する要因です。
「膨らみの大きさ:浅煎り⇒小さい 深煎り⇒大きい」
これらのことは生豆から抽出液にまで加工する工程を通した反応からも見て取れる、コーヒーが持っている自然な性質です。
商品となったコーヒーにしか触れる機会がない状況では、どうしてもそのものが持つ性質は見えづらいものです。
機会があれば、ご自身で焙煎や焙煎直後の豆からのドリップを体験してもらうと、鮮度の重要性について体感で理解出来ると思います。
調理の方法についても正しい情報を以て臨めば、ご家庭で焙煎やドリップを行うことに難しいことは何もありません。
保存する時は豆のままの方がいいの?
焙煎豆の中に気体(ガスや香りの成分)が貯まっていることによって、外からの空気の侵入を防いで酸化や吸湿による風味の劣化を抑えるという効果があります。
豆を挽いて粉にするということは、閉じ込められていた気体を放出し、空気中の酸素や水分とコーヒーの成分が触れる面積が一気に増大するということでもあります。
豆のままでも徐々に気体は抜けて行くので成分の酸化や腐敗なども起こりますが、そのスピードは粉とは比べ物にならないほどゆっくりとしたものです。
このため「豆のままの方が風味が長持ちする」ということが言えます。
鮮度と焙煎度を表す目安
「自分で淹れても粉が膨らまない」とお悩みの方が多い原因は、ご家庭はじめ大手コーヒーチェーン店といった環境で使用されているコーヒー粉は、すでに鮮度が落ちてガスが抜けてしまった状態にある場合が多いことです。
膨らみの元になるガス量にはドリップする人の技術や生豆としての品質は無関係なのですが、それを生豆・焙煎・抽出についての技術や品質の高さを表す指標にすり替えて消費者にアピールする慣習が一部に残っていることには注意が必要と思います。
良く膨らむ粉から品質について判断出来ることは以下のみです。
- 鮮度:劣化によって生まれる雑味や鈍い風味はないこと
- 焙煎度:中~深煎り(高加熱)でコクや香ばしさが多めなこと
その他の品質や特徴、そして、肝心なお好みに合うかどうか?まで表すものではなく、あくまで良質なコーヒーに該当するいくつかの条件の一つと捉えるのが適切と思います。
膨らみの大きさが品質とは関係がないことを示す極端な例を挙げると、以下のようなものがあります。
- どんなに安くて品質の低い生豆でも新鮮な粉なら膨らむこと
- 最も焙煎が深いイタリアンローストに近い豆を用いる場合
繊維質が炭化して細胞壁が崩れて行く段階になると豆内部にガスを閉じ込めにくくなる
- 最も焙煎が浅いライトローストに近い豆を用いる場合
ご家庭でも浅煎り豆が用いられるケースが増えて来たことから「新鮮なはずなのにあまり膨らまないのはなぜ?」というご質問を頂く機会も増えています。
それは、上記「膨らみが大きくなるポイント」でご紹介したものと逆の条件がいくつか重なったことによる結果です。
これらのようなケースに遭遇した場合でも、本質的な理由さえ知っていれば「膨らまない=品質が低い・抽出失敗」という結論に飛びついたり、落胆したりしながらドリップの迷い道や落とし穴にハマって苦しんだりすることなく、悠々自適なコーヒーライフが送れるようになります。
味覚だけに限らず、見た目の印象が人の感覚に大きな影響を与えるのも事実ですが、それは求める結果に対して良い方に働くこともあれば悪い方に働くこともあります。
いつでも新鮮な豆・粉を使ってもらうことで「コーヒードームが出来るなんてスゴい!」というイメージが逆転し、「深煎りで膨らまないなんておかしい!」と感じる日がいつか来たとしても、それは確かなルートを前進している証ではないかと思います。
関連記事:コーヒー豆・粉の選び方は?
粉から浮いてくる泡は何?
「白っぽい泡(エスプレッソではクレマ)」は水分と油分が交じり合って乳化した成分が、ガスを包み込むことで発生し浮き上がって来たものです。
コーヒー豆には油脂分と焙煎中に生成される界面活性物質も含まれていることから、洗剤と同じ仕組みでこうした現象が起こります。
また糖質・タンパク質など抽出液の粘性を高める成分との複合的な作用が、泡の発生に寄与するとも言われています。
※焙煎豆中に含まれる糖質とは、甘みを呈する単糖類や少糖類ではなく、それらが重合した高分子の多糖類、つまり植物の体を作る繊維質を指します
泡が持つ浸透性や吸着性が抽出に及ぼす影響にも諸説ありますが、泡を舐めた時に苦みやざらつきを感じるのは、その作用によって吸着された一部の微粉・繊維質による所が大きいと思います。
この作用を分離工程の一つと捉えることで、抽出時や飲用時の苦み・渋み・えぐみ・ざらつきといった雑味成分を減少させる効果があるとする説もありますが、定量的に捉えにくい現象であることや以下の作用による効果と相反するところが出て来ることから明確な結論には至っていないというのが現状と思います。
油分の抽出についても諸説あり「油は水に溶けず比重が小さいので水面に浮く」「紙や布フィルター、粉に吸着されてしまう」といった説明がなされることがありますが、一部を見れば確かなようでも全てを説明している訳ではありません。
少なくとも、界面活性作用によって抽出液中に分散して溶け込んでいる油分もあり、油膜のように分離して見えるものだけではないということが言えます。
界面活性物質の量は、焙焼反応の進行に伴ってある程度の深煎りまでは増えて行くことが分かっており、泡を増やしたり成分を溶け出しやすくしたりする作用があることから、抽出液のコク(ボディー)やまろやかさや滑らかさ、オイル感といった風味の質感、そして香りの強さにも影響する要因です。
例えば、浅煎り豆とメッシュの細かいペーパーフィルターを使用して抽出されたものでも液面に油膜が浮いて見える場合があり、その頻度は深煎りのものよりも多いという印象があります。
油脂分は熱に強いので焙煎度によらず豆に含まれている総量は大きく変わらないが、浅煎りでは界面活性物質の生成量が少ないことから抽出時に分離しやすくなっていること。
また、浅煎りでは抽出液中の油分が成分や繊維質を包み込みながら分散していることでもたらされる口当たりのまろやかさや滑らかさを感じにくい原因の一つと考えると、それらの現象を一貫して説明することが出来ます。
泡を落とし切るのと切らないのはどちらが良いの?
- 落とし切る ⇒ 濃いめ
【時間:長 + 圧力(浸透拡散):高】の効果によって収率が上がる
これは、おおまかな風味傾向についての結果だけをお示しした回答です。
この疑問に正確にお答えするには、上記の現象とその作用に加えて、少なくとも以下の要因も考慮する必要が出て来ます。
- 泡(厳密にはガスを覆う膜)を作る成分とその透過量
- 焙煎度
- 抽出条件
- フィルターの透過性
- お好み
しかしながら、これらの関係性まで考慮に入れた上で、あらゆる抽出について一貫性と裏付けを持った回答をお示しすることは非常に困難なので、今のところはご自身でケースごとに官能評価による比較判断を行ってもらう方が早く確かな結論が得られるものと思います。
コーヒードームは魅力的な諸刃の剣
鮮度と焙煎度によっても成分の量や粉の性質に違いが生まれ、それらが膨らみ具合として現れているということは、ドリップする際の抽出条件もそれに対応させる必要があるということを示しています。
生豆から抽出まで段階的に仕組みを理解して行くと、それらのポイントのつながりに沿ってどのような方針を取るべきかも見えて来るものですが、それに反して一部の情報だけを切り取り、ツギハギしている場合に陥りやすい事例には以下のようなものがあります。
- 良く膨らむ豆ほど高級で高品質だから風味も良い
- 膨らむこと自体が楽しい、おいしそうだから出来るだけ大きくしたい
- 目的の風味傾向と実際の抽出条件・工程がかみ合っていない
これらは「粉が良く膨らむコーヒーはおいしい」という情報が、イメージだけ独り歩きして過大評価されていることから起こりやすくなる事例です。
コーヒーの楽しみが詰まった魅力的なポイントであることに間違いはないですが、「見た目のインパクトに引っ張られるあまり、ついつい膨らみの大きさだけでコーヒーの良し悪しを決めてしまう」ところまで判断基準が狂わされないように注意が必要だと思います。
では、それの何が問題なのか?
上記1~5の膨らむポイントを全て満たした場合の抽出例を使って考えてみましょう。
膨らみが大きいほど風味傾向は大きく偏る
鮮度と風味傾向の関係には少し複雑な現象が含まれるので、まずは抽出条件の中でも把握しやすいポイントに絞って考えてみます。
「膨らみが大きくなるポイント」を抽出条件の風味傾向に置き換えると、このようになります。
- 【焙煎度:深 → 濃いめ】
- 【挽き目:細 → 濃いめ】
- 【温度:高 → 濃いめ】
- 【粉量:多 → 濃いめ】
※粉量は膨らみについての粉の性質を変化させるポイントではありませんが、見た目には分かりやすくなるポイントとして追加
※当店基準レシピとの比較例として【焙煎度:8(フレンチ) 挽き目:3(中細挽き) 粉量:15g 抽出量:150g 温度:95℃ 時間:】の場合としておきます。
こうして並べてみると、軒並み「濃いめ傾向」を示していることが分かります。
当然これらを総合した場合の風味傾向は、粉から溶け出す成分量が多く豆の持つ全ての要素が強く表れたものになります。
では「膨らみが大きくなる=おいしいコーヒーになる」と言えるでしょうか?
抽出によって作り出せる風味傾向には、このようなストロングタイプ以外にも様々なバランスで形成されるタイプがあり、お好みもそれぞれです。
膨らみの大きさを基準とした場合、それが大きく偏ってしまうということになりますので、上の疑問への答えは「NO」です。
そして、無理矢理膨らませても風味が良くなることはないということでもあります。
抽出に当たって豆や粉そのものの状態を把握することが大切なのは、抽出レシピ(挽き目や4つの調整ポイント含む)について、どのくらいの値を選択するかを決めるための手掛かりになるからです。
風味をお好みに近付けるというプロセスは、どこか1つのポイントに目を奪われることなく、全体をフラットに見ようとする意識を持つだけで、思いの外すんなり進むと思います。
もう少し詳しい関係については以下の記事もご参照頂ければと思います。
ガス量が多いと成分は溶け出しにくくなる
「焙煎直後の豆を使ってドリップしたコーヒーはおいしくない」という話を聞いたことはないでしょうか?
それが転じて「数日経ってから使うと良い」となった表現の方がご存じの方は多いかもしれませんが、そういった話が自ずと広まる理由の一つに、焙煎直後の豆に閉じ込められているガスが水の浸透を妨げてしまうというコーヒー独特の問題があります。
結論から言うと、鮮度と風味傾向の関係はこうなります。
【鮮度:高 ⇒ 軽め 低 ⇒ 濃いめ】
※この傾向を生む要因にはガス量だけではなく、②で後述するいくつかのエージング作用が含まれます。
上の項の結論「膨らむほど濃くなる」とは逆の結論なので、矛盾しているように見えると思います。
コーヒー抽出を分かりやすく単純化しない視点で見た場合、非常に複雑な現象が絡み合って起こっています。
難しいと言える段階は、個々の要素で見れば結論Aと結論Bが矛盾するものを含む複数の要素で成り立つ現象について「AとBのバランスをどの程度にすると求める結果になるのか?」を考え始める時です。
コーヒーも、どちらが良いか悪いかで単純に答えが決められないことを知ってからが本番という訳です。
この関係性については「透過式」の過程を観察することで分かりやすくなるので、そこからもう少し段階的に解説して行きます。
粉が大きく膨らんで来る状態では、粒子と粒子の間にガスや気泡といった気体によって作られた間隙(すき間)が多くなります。
- ガスの噴出・気泡 ⇒ 水の浸透を妨げる
- 間隙が多い ⇒ 水の通り道が太く多くなる
その結果、粒子と水があまり触れることなく流れ落ちる速さ「流出速度」だけが上がり、抽出時間が短くなるということが起こります。
【鮮度:高 (ガス量:多 → 膨らみ:大 → 時間:短 → 粉から溶け出す成分の量:少) → 軽め】
この一連の現象ついて理解し対策を立てるには、以下の二つの捉え方が必要です。
- 粉全体あるいは粉の粒子を一つの部屋として見た場合、そこがガスや気泡、水で満杯の状態(飽和)ならば、それを追い出すか小さくするかしてスペースを作らない限り、新たな水が入り込むことは出来ない。
- 水が粉に浸透する際には毛細管現象と呼ばれる現象が起きている。水には表面張力の働きによって細かい隙間に流れ込もうとする性質があるため。
これらを用いると冒頭の現象についての説明はこうなります。
「水は粉全体に染み渡ろうとするが、噴き出してくるガスや気泡の抵抗によってはじかれてしまい、流れやすい経路に集まるようになる。その結果、水と粉が接触する機会が減り、溶け出す成分の量も少なくなる。」
こうした粉(粒子が充填された層)内の水の流れが一部に集中してしまう現象は「チャネリング(偏流)」と呼ばれています。
水の流れ方に影響する要因としては「水の注ぎ方・粉の密度・粉の粒度・フィルターの粒度・ドリッパー(形状・リブ・流出口)といったところが挙げられますが、その一つに粒子内部に蓄えられたガス量「鮮度」という大きな要因を加える必要があるということになります。
「蒸らし」をする理由
現象を言葉で記述するとややこしく見えますが、すでに皆さんはこの問題への対処法をご存じと思います。
その対処法とは蒸らしのことだからです。
チャネリング現象とその対策という、主に流体の性質に関わる分野で使われている表現方法を使うと馴染みのないものに見えてしまいますが、はるか以前から、この種の問題は研究されていて、対処法も広く伝わっていたということです。
蒸らしの説明に当たっては、「最初にお湯をかけて待つ」「ガス抜きする」といった、かなり簡略化された表現を目にすることはあると思いますが、その具体的なメカニズムと効果についての説明を目にする機会はほとんどないのではと思います。
お客様からのお話を伺う中では、それを行う方が良い、何秒が良いと聞いたので行っているという方も多いように見受けられます。
上述して来たように、何がどのようにして起こり、風味にどのような影響を及ぼすのかという因果関係を理解すれば、ご自身でお好みに合わせた調整方法を見つけられるようになると思います。
蒸らしの効果とそれを高める調整方法
【蒸らし効果:高 ⇒ 濃いめ 低 ⇒ 軽め】
蒸らしにはガス抜きだけはなく、粒子に水分を吸収させることでその繊維質や内部で固着している成分をほぐして溶け出しやすくさせるという重要な目的もあります。
粒子の一つ一つも吸水することで若干膨らみます。蒸らしのことを英語では「Bloom(ブルーム)」と表現しますが、開花や咲き誇るといった意味合いになります。
粒子内部に通り道が開くことで、それまで閉じ込められていた香りや味が外へ解き放たれるという過程を表しています。
蒸らし効果を高める具体的な手法には、以下のようなものがあります。
- 粉をフィルターにセットする際、ドリッパーを軽く何度かゆすったり、たたいたりして粉の層を一様にならしおく
- 粉が水を吸い込む時間を与えるためにゆっくり静かに注水し、水を満遍なく染み渡らせる(注水量の目安は粉量の1.5~2倍)
- 不飽和状態(水の毛細管現象が起こる状態)を保つ(浸漬状態にはしない)
- 蒸らし時間を長めにする
- 蒸らし温度を高めにする
- 蒸らし中に粉全体を「撹拌」する
※当店では抽出条件をいくつかのカテゴリーに分けて整理しています。
「蒸らし」は工程ポイント【圧力(浸透拡散)】に分類される手法の一つになります。
逆に、スッキリと軽やかな味わいや酸味をメインに楽しみたい場合は、蒸らし(あるいは浸透拡散)効果と共に増加するコク(ボディー)を抑えるために、上記とは反対方向に調整すれば良いということになります。
見た目にきれいな膨らみを作りたい場合
- ゆっくりと螺旋(らせん)を描くような注水を繰り返すことで、膨らみが滑らかに広がってきれいに見える上に満遍なく水を行き渡らせることが出来ます。
膨らみと抽出のバランス※再編中
膨らみが大きくなる抽出条件の中で、鮮度だけは風味に逆方向の傾向をもたらすように働いています。
【鮮度:高 ⇒ 軽め 低 ⇒ 濃いめ】
組み合わさった場合にどうなるかを考えてみます。ついて起こりやすい事例を挙げて解説します。
膨らみを大きくしたいと考えている場合、注水量を一気に増やすことで一見良く膨らんだように見えることから、ついつい注水量を多くし過ぎてしまうというケースがあります。
しかし、これはドリッパー内で「流出速度<<<注水速度」という現象が発生しているだけに過ぎず、ドリッパー内に溜まった水より軽い気泡や粉が浮き上がっているだけです。
さらに、ここで粉が細挽き、微粉が多い、ドリッパーの流出口が小さいといった理由で「目詰まり」を起こした場合には、ドリッパー内は浸漬式に近い状態になることさえあります。
透過式が本来意図している粉の層に水が浸透しながら成分を溶解させて行く抽出方法を行っているつもりだけれど、実際の現象はそうなっていないということです。
現実的なご家庭の条件下では、このような極端な状態での抽出も十分起こり得ることから、コーヒーにまつわる良し悪しについての議論を混乱させる一因となっています。
「コーヒー」の外に答えを探しに行く
内部にガスを蓄えるコーヒー焙煎豆が持つ性質には、抽出する時にふんわり膨らむ様子を楽しめるという魅力的な面もあれば、水の浸透を妨げて肝心の成分溶解を阻害するという厄介な面もあります。
コーヒーの抽出工程が独特な形式になる理由はその性質による所が大きく、理解を進める途上でも核心部分と言えます。
特に透過式の抽出過程では様々な現象が同時多発的に発生することから、その全容についての詳細までが明らかになっているとは言い難く、諸説入り乱れているような状態が長く続いています。
それは、現状のコーヒーという枠組みの中にはまだ十分な答えが揃っていないということを示しています。
もし、それを知りたいと願うのであれば、そこから「外」に出て探しに行かなくてはなりません。
それが当店のコンセプトそのままなのですが、特にここQ&Aでは、そのようにして得られた知見を元にして幅広く通じる理解と実践につながる解説をご提供出来ればと考えています。
この項目で参考にしている学問の一つは、私たちにも身近な自然の一部である「土壌」について研究する分野です。
そこでの土とはどういうものかというと「粒子(鉱物や植物)・液体・気体の混合状態」とされており、これら3つの相が絡み合う複雑な関係の中でどのようなことが起こるのか、という知見が集積されています。
まさに「コーヒー粉・水・ガスの混合状態(コーヒースラリー)」はその関係にあり、組成から見てもほぼ同一の条件を対象としている部分があります。
当然ながら土壌に関する研究はコーヒー栽培に直接関わる分野なので、生産に近い所では活発に行われています。
しかし、販売店やご家庭を含む消費に近い所にある「商品としてのコーヒー」から、直接にそのような自然についての知見や感触を感じる機会はあまりないと思います。
私たちとコーヒーのつながりの中で、今まで見えなかった何かがそこにあるのではないかという期待は、自然とコーヒーに触れながら過ごして来た当店の実感とも合致しはじめています。