膨らむのがコーヒーの自然な性質
コーヒー粉にお湯を注ぐとムクムクと膨らんで来る現象、いわゆる「コーヒードーム」の作り方は、ハンドドリップに関する事柄の中で最も注目度が高いポイントの一つとなっています。
しかし、大きな関心が集まるという事態の裏を返せば、実際にコーヒードームを目にしたり、自身で作ったりした体験を持つ人は少数派であるということでもあります。
当店では常にお客様の目の前でドリップしているので、そのような反応も肌身で感じさせてもらっています。
お湯を注いですぐに大きく膨らむ様子ご覧になって、「こんなに膨らむのは見たことない」「自分でやってもこうはならない」「良い豆を使ってるから」「注ぎ方が上手だから」といった感想を述べられる方がとても多いのですが…
その理由は、ドリップする人のテクニックやコーヒー豆に何か特別な秘密があるからではありません。
コーヒー粉が抽出中に膨らむ理由はコーヒー粉の状態が新鮮だからです。
膨らみ具合に関しては、お湯の注ぎ方やドリッパーの形状、焙煎度、挽き目、粉量、湯温などの要因も影響することから、各ケースによって異なることも確かなのですが、それらはあくまで膨らみの大きさやスピードといった見た目に現れる二次的な変化に過ぎないので、それらをいくら眺めていても本質的な答えはおろか、ご自身が求めるおいしいコーヒーにさえ辿り着けません。
部分的な見た目や感覚だけでコーヒーを捉えていると、いつの間にか原因と結果が本末転倒したイメージだけが膨らんで行く、ということが起こりやすくなります。
それは、良い結果や望んだ結果の方ばかりを切り取って見るようになるからで、ドリップの上達やコーヒーを学ぶという道のりの上では、かえって遠回りや迷い道となる心理的な障壁の一つです。
なので、そうならないように「本質的な仕組みとは何なのか?」という、目には見えない部分まで含めた全体のつながりに着目してもらうことが、お好みのコーヒーまでの近道になると思います。
- どうして新鮮だと膨らむのか?
- 何をもって新鮮というのか?
- 新鮮さは風味にどう関係しているのか?
これらが分かると、以下のような陥りやすい迷い道や落とし穴からも簡単に抜け出すことが出来るようになります。
- うちでは粉が膨らまなないし、おいしく出来ないのは自分のドリップが下手だから
- 良く膨らむものほど貴重で高級な種類の豆だから風味も良い
- 豆・粉の消費期限は数ヵ月や年単位のものも多いので、鮮度はそんなに気にしなくて良い
あらゆる情報が手に入りやすくなった現在に至ってもなお、これらの誤解はご家庭でのコーヒー作りにおいて最も多く見受けられる障壁として残ったままです。
コーヒーの鮮度という問題に対して、過去にどこかしらで見聞きした無関係な知識と技術を駆使しながら、なんとか立ち向かっておられる方が未だ多いのが現状のようです。
鮮度を決めるのは商品の供給体制
この問題は、日本は地域的にコーヒーの栽培に向いていないために遠く離れた世界の生産地から輸入せざるを得ないことの弊害の一つです。
日本人はコーヒー好きな方が多く消費量も多いですが、ご家庭で日常的に生豆や焙煎に触れる習慣はなく、きちんとパッケージングされた加工済みの商品として購入するといった形で定着しています。
工場での一括大量生産・大量供給という形態では、消費までの保管や流通に要するギャップ期間が生まれてしまうので「新鮮さ」と「低コスト」の両立は難しくなります。
現在も大手メーカー、チェーン店で販売される多くは、工場で焙煎後に防腐処理とパッケージングされてからお客様のお手元に届くまでの期間が月単位で掛かっているのが通常です。
このような流通体制にならざるを得ないため、生産地から生豆を仕入れる専門業者でなければ、収穫時点からの鮮度が高くて種類も豊富な原料を入手することは困難な時代が長く続いていました。
そうした情報についても同じく、流通体制が未発達な時代に一般消費者が市場において大手メディアから供給されるマーケティング戦略に抗う術はほぼないため、1~3のような誤ったイメージが蔓延してしまう大きな要因となります。
しかし、世界的な通信・物流システム(サプライチェーン)の発展に伴って、当店のような消費者に近い小売店やご家庭にとっても「新鮮さ」を阻む障壁は低くなって来ています。
例えば、専門店やネットショップの中には、どなたでも簡単に直輸入の生豆や焙煎直後の豆といった状態の商品を購入出来るところも増えて来ています。
もはや、コーヒードームと香りが膨らむドリップは一部のプロだけのものではなく、正確な情報とわずかなコストだけで、どなたでも日常的に手にすることが出来るものとなっています。
膨らみが大きくなるポイント
注いだ水分が粉に浸透するにつれ、焙煎時に生成された「炭酸ガス(主に二酸化炭素)や香りの気体成分」が吹き出し、大量の細かい気泡を作ります。それが粉全体を浮き上がらせる現象がコーヒードームの正体です。
その際、吸水した粉は繊維質が柔らかくなることで個々の粒子も若干膨らみます。
1.焙煎されてから新鮮
鮮度の基準は焙煎日
※消費期限でもパッケージを開封してからの期間でもないことに注意
常温(25度前後)で豆のまま密封保管された状態だと2週間ほどが目安
2.粉になってから新鮮
ドリップ直前にミルで挽くことで最大化します
粉のまま野ざらし状態が数分続くだけでも膨らみは弱まります
パッケージ方法・窒素充填・真空・冷蔵・冷凍といった方法を組み合わせることで数か月、年単位の保管も可能ですが、それぞれのプロセスで豆や粉の状態は異なったものになります
3.粉の挽き目が細かい
個々の粒子が細かくなるほど、全体の表面積も大きくなることで吹き出すガス量も多くなるため
※細挽きになるほど粉の層内部の水の通り道が減ることをはじめ、粒子の密度、水の注ぎ方や湯温、焙煎度などの「諸条件によって粉粒子への水の浸透しやすさは異なる」という理由から、見た目に表れる膨らみ具合はケースバイケースで変化するものです
4.焙煎度が深い
中煎り~深煎りの粒子
密度が低い(内部に隙間が多い)→ 保持出来るガス量が多い、水に浮きやすい
また、焙煎中に生成される界面活性物質の量が多くなることで、気泡が出来やすくなる
※浅煎り粉の粒子は逆で、気泡は少なく水に沈みやすくなります。ただし、極深煎りになると例外も発生するので詳しくは後述しています
5.注水温度が高い
水温が高いほど水が細胞壁の内側まで浸透しやすくなることで、ガスや成分が放出されるスピードが早まり、総量も多くなります
粉粒子は吸水すると繊維質が軟化して膨張するのでガスや水の流通経路が増えて行きます。特に注水一投目の「蒸らし」に当たる温度を高めにすることで工程の初期段階から高い抽出効率が得られます
これらをまとめると、「膨らみ具合は主にコーヒー粉が保持しているガス量によって決定されている」ということが言えます。
焙煎の熱と膨らみの関係
コーヒー豆に含まれる炭酸ガスは有機物(炭素を含むもの)が酸素と一緒に加熱される際に起こる、ごく自然な化学反応によって発生したものです。
まず、コーヒー豆は焙煎過程でも体積が2~3倍ほどに膨らみます。
その加熱初期には生豆の持つ水分が水蒸気となって、無数の細胞壁(主にセルロース・ヘミセルロース)を軟化させながら押し広げて行きます。
水分は途中でほとんど蒸発してなくなって行きますが、そうして出来たたくさんの小さな部屋の中に生成されたガスや風味成分が溜まって行きます。
熱の与え方や時間によって内部で起こる化学反応は変化するので、焙煎方法や焙煎度を表す指標の一つとなる「焼き上がり温度」でもガスの量は変わってきます。
専門的な詳細に関わる点では、個々の生豆の水分含有量や大きさ・密度といった違いも無視出来ず、焼き上がった表面上の色味では同じ焙煎度かのように見える場合であっても、内部までの「熱の通り具合」が均一かどうかも仕上がりに大きく影響する要因です。
「膨らみの大きさ:浅煎り⇒小さい 深煎り⇒大きい」
これらのことは生豆から抽出液にまで加工する各工程を通しての反応が教えてくれる、コーヒーが元来持っている自然な性質です。
加工済みの商品となったコーヒーにしか触れる機会がない状況では、そのものが持つ性質はどうしても見えづらくなります。
もし機会があれば、ご自身の手で焙煎や焙煎直後の豆からのドリップといったことを体験してもらうと、鮮度の重要性について体感で理解出来るようになると思います。
そして、基本的な内容を押さえた正しい情報を持って臨みさえすれば、ご家庭で少量の焙煎やドリップを行いおいしいコーヒーを楽しむことに、難しい知識も高級な器具も必要ありません。
保存する時は豆のままの方がいいの?
焙煎豆の中に気体(ガスや香りの成分)が貯まっていることによって、外からの空気の侵入を防いで酸化や吸湿による風味の劣化を抑えるという効果があります。
豆を挽いて粉にするということは、閉じ込められていた気体を放出し、空気中の酸素や水分とコーヒーの成分が触れる面積が一気に増大するということでもあります。
豆のままでも徐々に気体は抜けて行くので成分の酸化や腐敗なども起こりますが、そのスピードは粉とは比べ物にならないほどゆっくりとしたものです。
このため「豆のままの方が風味が長持ちする」ということが言えます。
鮮度と焙煎度を表す目安
「自分で淹れても粉が膨らまない」とお悩みの方が多い原因は、焙煎から月単位の時間が経過して豆や粉の内部のガスが抜けてしまった状態のものを使用されているケースが多いことです。
膨らみの元になるガス量にドリップする人の技術や生豆としての品質は無関係なのですが、それを生豆・焙煎・抽出についての技術や品質の高さを表す指標にすり替えて消費者にアピールする慣習が一部に残っていることには注意が必要と思います。
良く膨らむ粉から品質について判断出来ることは以下のみです。
- 鮮度:成分の劣化によって生まれる雑味や鈍い風味はないこと
- 焙煎度:中~深煎り(高加熱)でコクや香ばしさが多めなこと
その他の品質や特徴、そして、肝心なお好みに合うかどうか?まで表すものではなく、あくまで良質なコーヒーに該当するいくつかの条件の一つと捉えるのが適切と思います。
膨らみの大きさが品質とは関係がないことを示す極端な例を挙げると、以下のようなものがあります。
- どんなに安くて品質の低い生豆でも新鮮な粉なら膨らむこと
- 最も焙煎が深いイタリアンローストに近い豆を用いる場合
繊維質が炭化して細胞壁が崩れて行く段階になると豆内部にガスを閉じ込めにくくなる
- 最も焙煎が浅いライトローストに近い豆を用いる場合
ご家庭でも浅煎り豆が用いられるケースが増えて来たことから「新鮮なはずなのにあまり膨らまないのはなぜ?」というご質問を頂く機会も増えています。
それは、上記「膨らみが大きくなるポイント」でご紹介したものと逆の条件がいくつか重なったことによる結果です。
これらのようなケースに遭遇した場合でも本質的な理由さえ知っていれば、「膨らまない=品質が低い・抽出失敗」という結論に飛びついたり、お店や自身に落胆したりしながらドリップの迷い道や落とし穴にハマって苦しむこともなく、悠々自適なコーヒーライフが送れるようになります。
味覚だけに限らず、見た目の印象が人の感覚に大きな影響を与えるのも事実ですが、それは求める結果に対して良い方に働くこともあれば悪い方に働くこともあります。
いつでも新鮮な豆・粉を使ってもらうことで、「コーヒードームが出来るなんてスゴい!」というイメージが逆転し、「深煎りで膨らまないなんておかしい!」と感じる日がいつか来たとしても、それは確かなルートを前進している証ではないかと思います。
関連記事:コーヒー豆・粉の選び方は?
粉から浮いてくる泡は何?
「白っぽい泡(エスプレッソではクレマ)」は水分と油分が交じり合って乳化した成分が、ガスを包み込むことで発生し浮き上がって来たものです。
コーヒー豆には油脂分と焙煎中に生成される界面活性物質も含まれていることから、洗剤と同じ仕組みでこうした現象が起こります。
また糖質・タンパク質など抽出液の粘性を高める成分との複合的な作用が、泡の発生に寄与するとも言われています。
※焙煎豆中に含まれる糖質とは、甘みを呈する単糖類や少糖類ではなく、それらが重合した高分子の多糖類、つまり植物の体を作る繊維質を指しています
泡が持つ浸透性や吸着性が抽出に及ぼす影響にも諸説ありますが、泡を舐めた時に苦みやざらつきを感じるのは、その作用によって吸着された一部の微粉・繊維質による所が大きいと思います。
この作用を分離工程の一つと捉えることで、抽出時や飲用時の苦み・渋み・えぐみ・ざらつきといった雑味成分を減少させる効果があるとする説もありますが、定量的に捉えにくい現象であることや以下の作用による効果と相反するところが出て来ることから明確な結論には至っていないというのが現状と思います。
油分の抽出についても諸説あり「油は水に溶けず比重が小さいので水面に浮く」「紙や布フィルター、粉に吸着されてしまう」といった説明がなされることがありますが、一部を見れば確かなようでも全てを説明している訳ではありません。
少なくとも、界面活性作用によって抽出液中に分散して溶け込んでいる油分もあり、油膜のように分離して見えるものだけではないということが言えます。
界面活性物質の量は、焙焼反応の進行に伴ってある程度の深煎りまでは増えて行くことが分かっており、泡を増やしたり成分を溶け出しやすくしたりする作用があることから、抽出液のコク(ボディー)やまろやかさや滑らかさ、オイル感といった風味の質感、そして香りの強さにも影響する要因です。
例えば、浅煎り豆とメッシュの細かいペーパーフィルターを使用して抽出されたものでも液面に油膜が浮いて見える場合があり、その頻度は深煎りのものよりも多いという印象があります。
油脂分は熱に強いので焙煎度によらず豆に含まれている総量は大きく変わらないが、浅煎りでは界面活性物質の生成量が少ないことから抽出時に分離しやすくなっていること。
また、浅煎りでは抽出液中の油分が成分や繊維質を包み込みながら分散していることでもたらされる口当たりのまろやかさや滑らかさ、後味の持続を感じにくい原因の一つと考えると、それらの現象を一貫して説明することが出来ます。
泡を落とし切るのと切らないのはどちらが良いの?
- 落とし切る ⇒ 濃いめ
【時間:長 + 圧力(浸透拡散):高】の効果によって収率が上がる
これは、おおまかな風味傾向についての結果だけをお示しした回答です。
この疑問に正確にお答えするには、上記の現象とその効果に加えて以下のような要因も考慮する必要が出て来ます。
- 泡(厳密にはガスを覆う膜)を作る成分とその透過量
- 焙煎豆の品質
- 焙煎度をはじめとする抽出条件
- フィルターの透過性
- お好み
しかしながら、これらの関係性まで考慮に入れた上で、あらゆる抽出について一貫性と裏付けを持った回答をお示しすることは非常に困難なので、今のところはご自身でケースごとに官能評価による比較判断を行ってもらう方が早く確かな結論が得られるものと思います。
コーヒードームは魅力的な諸刃の剣
鮮度と焙煎度によっても成分の量や粉の性質に違いが生まれ、それらが膨らみ具合として現れているということは、ドリップする際の抽出条件もそれに対応させる必要があるということを示しています。
生豆から抽出まで段階的に仕組みを理解して行くと、抽出を構成するポイント間のつながりに沿って、どのような方針を取るべきかも見えて来るものですが、それに反して一部の情報だけを切り取り、ツギハギしている場合に陥りやすい事例としては以下のようなものが挙げられます。
- 良く膨らむ豆ほど高級で高品質だから風味も良い(誤情報を訂正する術がない)
- 膨らむこと自体が楽しい、おいしそうだから出来るだけ大きくしたい
- 目的の風味傾向と実際の抽出条件・工程がかみ合っていない
これらは「粉が良く膨らむコーヒーはおいしい」という情報が、イメージだけ独り歩きして過大評価されていることから起こりやすくなる事例です。
コーヒーの楽しみが詰まった魅力的なポイントであることに間違いはないですが、「見た目のインパクトに引っ張られるあまり、ついつい膨らみの大きさだけでコーヒーの良し悪しを決めてしまう」ところまで判断基準が狂わされないように注意が必要だと思います。
では、それの何が問題なのか?
上記1~5の膨らむポイントを全て満たした場合の抽出例を使って考えてみましょう。
膨らみが大きいほど風味傾向は大きく偏る
鮮度と風味傾向の関係には少し複雑な現象が含まれるので、まずは抽出条件の中でも分かりやすいポイントに絞って考えてみます。
「膨らみが大きくなるポイント」を抽出条件と風味傾向の関係に置き換えると、このようになります。
- 【焙煎度:深 → 濃いめ】
- 【挽き目:細 → 濃いめ】
- 【温度:高 → 濃いめ】
- 【粉量:多 → 濃いめ】
※粉量は粉の性質を示すポイントではありませんが、見かけ上の膨らみ具合が分かりやすくなる条件として追加。
他には、ドリッパーやフィルターに縦長型を使うほど膨らみがより大きく見える、かつ「水の透過時間が自ずと稼げる→濃いめ効果」を利用するといった手法もあります。
※当店基準レシピとの比較例として【焙煎度:8(フレンチ) 挽き目:3(中細挽き) 粉量:15g 抽出量:150g 温度:95℃ 時間:】の場合としておきます。
こうして並べてみると、軒並み「濃いめ傾向」を示していることが分かります。
当然これらを総合した場合の風味傾向は、粉から溶け出す成分量が多く豆の持つ全ての要素が強く表れたものになります。
では、「膨らみが大きくなる=おいしいコーヒーになる」と言えるでしょうか?
抽出によって作り出せる風味傾向には、このようなストロングタイプ以外にも様々なバランスで形成されるタイプがあり、お好みもそれぞれです。
膨らみの大きさを基準にすると、そのバランスが一方向に大きく偏ってしまうことになりますので、上の疑問への答えは「NO」です。
抽出に当たっては、豆や粉の現在の状態を正確に把握することが大切です。
それが、抽出レシピ(挽き目や4つの調整ポイント含む)について、どのくらいの値を選択するかを決めるための手掛かりになるからです。
風味をお好みに近付けるというプロセスは、どこか1つのポイントに目を奪われることなく、全体をフラットに見ようとする意識を持つだけで、意外とシンプルなものに見えて来るのではと思います。
もう少し詳しい関係については以下の記事もご参照頂ければと思います。
ガス量が多いと成分は溶け出しにくくなる
「焙煎直後の豆を使ってドリップしたコーヒーはおいしくない」という話を聞いたことはないでしょうか?
それが転じて「数日寝かせてからの方がおいしい」となった表現の方がご存じの方は多いかもしれませんが、そういった話が自ずと広まる理由の一つに、焙煎直後の豆に閉じ込められているガスが水の浸透を妨げてしまうというコーヒー独特の問題があります。
結論から言うと、鮮度と風味傾向の関係はこうなります。
【鮮度:高 ⇒ 軽め 低 ⇒ 濃いめ】
※この傾向を生む要因にはガス量だけではなく、後編の②記事で後述するいくつかのエージング作用も含まれます。
上の項の結論「膨らむほど濃くなる」とは逆の結論なので、矛盾しているように見えると思います。
コーヒー抽出をより深く理解したいと思うようになると、最大多数の消費者向けマーケティング用に単純化されたイメージや決まり文句だけでは到底理解が及ばない、様々な要因が絡み合う複雑な現象と対峙することとなります。
難しいと言えるのは、個々の要素で見れば結論Aと結論Bが明確でも、それらを含む複数の要素で成り立つ現象について「AとBのバランスをどの程度にすると求める結果になるのか?」といった矛盾の解決策(最適化や落としどころ)を考え始める段階からです。
コーヒーに限った話ではありませんが、どちらが良いか悪いかといった単純な答えのない現実に向き合ってからが本番という訳です。
この関係性については「透過式」の過程を観察することで分かりやすくなるので、そこからもう少し段階的に解説して行きます。
粉が大きく膨らんで来る状態では、粒子と粒子の間にガスや気泡といった気体によって作られた間隙(空隙、すき間)が多くなります。
- ガスの噴出・気泡 ⇒ 水の浸透を妨げる
- 間隙が多い ⇒ 水の通り道が太く多くなる
その結果、粒子と水があまり触れることなく流れ落ちる速さ「流出速度」だけが上がり、抽出時間が短くなるということが起こります。
【鮮度:高 (ガス量:多 → 膨らみ:大 → 時間:短 → 粉から溶け出す成分の量:少) → 軽め】
この一連の現象ついて理解し対策を立てるには、以下の二つの捉え方が必要です。
- 粉全体あるいは粉の粒子を一つの部屋として見た場合、そこがガスや気泡や水ですでに満杯(飽和状態)ならば、それを追い出すか小さくするかして間隙を作らない限り、新たな水が入り込むことは出来ない
- 水が粉に浸透する際には毛細管現象と呼ばれる現象が起きている。水には表面張力の働きによって細かい間隙に流れ込もうとする性質があるため
これらを用いると冒頭の現象についての説明はこうなります。
「水は粉全体に染み渡ろうとするが、粉粒子内部から噴き出してくるガスや気泡の抵抗によってはじかれてしまい、粒子間の流れやすい経路に集まるようになる。その結果、水と粉が接触する機会が減り、溶け出す成分の量も少なくなる。」
こうした粉(粒子が充填された層)内の水の流れが一部に集中して偏ってしまう現象は「チャネリング(偏流)」と呼ばれています。
水の流れ方に影響する要因としては「水の注ぎ方・粉の密度・粉の粒度・フィルターの粒度・ドリッパー(形状・リブ・流出口)といったところが挙げられますが、その一つに粒子内部に蓄えられたガス量「鮮度」という大きな要因を加える必要があるということになります。
「蒸らし」をする理由
現象を言葉で記述するとややこしく見えますが、すでに皆さんはこの問題への対処法をご存じと思います。
その対処法とは蒸らしのことだからです。
チャネリング現象とその対策という、主に流体の性質に関わる分野で使われている表現方法を使うと馴染みのないものに見えてしまいますが、はるか以前から、この種の問題は研究されていて、対処法も広く伝わっていたということです。
蒸らしの説明に当たっては、「最初にお湯をかけて何秒待つ」「ガス抜きする」といった形で、かなり簡略化されていたり、それぞれのケースごとに特殊化されたりしている表現を目にすることはあると思いますが、その具体的なメカニズムと効果についての説明を目にする機会はあまりないのではと思います。
お客様からのお話を伺う中では、それを行う方が良い、何秒が良いと聞いたので行っているという方も多いように見受けられます。
上述して来たように、何がどのようにして起こり、風味にどのような影響を及ぼすのかという因果関係を理解すれば、ご自身でお好みに合わせた調整方法を見つけられるようになると思います。
蒸らしの効果とそれを高める調整方法
【蒸らし効果:高 ⇒ 濃いめ 低 ⇒ 軽め】
蒸らしにはガス抜きだけはなく、粒子に水分を吸収させることでその繊維質や内部で固着している成分をほぐして溶け出しやすくさせるという重要な目的もあります。
粒子の一つ一つも吸水することで若干膨らみます。蒸らしのことを英語では「Bloom(ブルーム)」と言いますが、開花や咲き誇るといった意味合いで使われています。
粒子内部に通り道が開くことで、それまで閉じ込められていた香りや味が一気に外へ解き放たれるという過程と目的を表していますが、こちらの方が工程の持つ役割と魅力までもが伝わりやすい良い表現だと思います。
※「蒸らし」という言葉からは、どうしても湯気を利用した調理をイメージしてしまうのでピンと来ない、余計な誤解を生むといった欠点がありますが、コーヒー関係者にはおそらく共通の認識と思います。
蒸らし効果を高める具体的な手法には、以下のようなものがあります。
- 粉をフィルターにセットする際に粉の層全体が一様になるようにならす
- 粉全体を撹拌する
タンピングやステアによるディストリビューションの均一性向上
例:ドリッパーを軽く何度かゆすったり叩いたりする。棒状の道具で撹拌するなど
- 粉が水を吸い込む時間を与えるためにゆっくり静かに注水し、水を満遍なく染み渡らせる
注水量の目安はドリッパー内部(粉+フィルター)の吸水量から逆算すると、粉量のおよそ1.5~2倍
- 不飽和状態(水の毛細管現象が起こる状態)を保つ(浸漬状態にはしない)
- 蒸らし注水回数を増やす(粉量以下の少量注水)
- 蒸らし待機時間を長めにする
- 蒸らし注水温度を高めにする
※当店では抽出条件をいくつかのカテゴリーに分けて整理しています。
「蒸らし」は工程ポイント【圧力(浸透拡散)】に分類される手法の一つになります。
逆に、スッキリと軽やかな味わいや酸味をメインに楽しみたい場合は、蒸らし(あるいは浸透拡散)効果と共に増加するコク(ボディー)を抑えるために、上記とは反対方向に調整すれば良いということになります。
見た目にきれいな膨らみを作りたい場合
- ゆっくりと螺旋(らせん)を描くような注水を繰り返すことで、膨らみが滑らかに広がってきれいに見える上に満遍なく水を行き渡らせることが出来ます。
膨らみと抽出のバランス※再編中
膨らみが大きくなる抽出条件の中で、鮮度だけは風味に逆方向の傾向をもたらすように働いています。
【鮮度:高 ⇒ 軽め 低 ⇒ 濃いめ】
組み合わさった場合にどうなるかを考えてみます。ついて起こりやすい事例を挙げて解説します。
膨らみを大きくしたいと考えている場合、注水量を一気に増やすことで一見良く膨らんだように見えることから、ついつい注水量を多くし過ぎてしまうというケースがあります。
しかし、これはドリッパー内で「流出速度<<<注水速度」という現象が発生しているだけに過ぎず、ドリッパー内に溜まった水より軽い気泡や粉が浮き上がっているだけです。
さらに、ここで粉が細挽き、微粉が多い、ドリッパーの流出口が小さいといった理由で「目詰まり」を起こした場合には、ドリッパー内は浸漬式に近い状態になることさえあります。
透過式が本来意図している粉の層に水が浸透しながら成分を溶解させて行く抽出方法を行っているつもりだけれど、実際の現象はそうなっていないということです。
現実的なご家庭の条件下では、このような極端な状態での抽出も十分起こり得ることから、不安定な抽出結果を元にしたコーヒー抽出にまつわる良し悪しについての議論が混乱する一因となっています。
「コーヒー」の外に答えを探しに行く
内部にガスを蓄えるコーヒー焙煎豆が持つ性質には、抽出する時にふんわり膨らむ様子を楽しめるという魅力的な面もあれば、水の浸透を妨げて肝心の成分溶解を阻害するという厄介な面もあります。
コーヒーの抽出工程が独特な形式になる理由はその性質による所が大きく、理解を進める途上でも核心部分と言えます。
特に透過式の抽出過程では様々な現象が同時多発的に発生することから、その全容についての詳細までが明らかになっているとは言い難く、諸説入り乱れているような状態が長く続いています。
それは、現状のコーヒーという枠組みの中にはまだ十分な答えが揃っていないということを示しています。
もし、それを知りたいと願うのであれば、そこから「外」に出て探しに行かなくてはなりません。
それが当店のコンセプトそのままなのですが、特にここQ&Aでは、そのようにして得られた知見を元にして幅広く通じる理解と実践につながる解説をご提供出来ればと考えています。
この項目で参考にしている学問の一つは、私たちにも身近な自然の一部である「土壌」について研究する分野です。
そこでの土とはどういうものかというと「粒子(鉱物や植物)・液体・気体の混合状態」とされており、これら3つの相が絡み合う複雑な関係の中でどのようなことが起こるのか、という知見が集積されています。
まさに「コーヒー粉・水・ガスの混合状態(コーヒースラリー)」はその関係にあり、組成から見てもほぼ同一の条件を対象としている部分があります。
当然ながら土壌に関する研究はコーヒー栽培に直接関わる分野なので、生産に近い所では活発に行われています。
しかし、販売店やご家庭を含む消費に近い所にある「商品としてのコーヒー」から、直接的にそうした自然についての知見や感触が得られる機会はあまりないと思います。
私たちとコーヒーのつながりの中で、今まで見えなかった何かがそこにあるのではないかという期待は、自然とコーヒーに触れながら過ごして来た当店の実感とも合致しはじめています。